「
広報むかわ」で絞込み
2014年8月2日
穂別博物館 2014年8月2日
in むかわ竜,広報むかわ
恐竜化石を含む地層面を下位(写真の右側)と上位から掘っているところ。左はバックホウ。
恐竜の発掘
2013年9月2日から最長で約1ヶ月間の予定で第一次穂別恐竜発掘を始めました。発掘には穂別博物館の学芸職員3~4名、重機操縦士1名、小林快次先生(北海道大学総合博物館)、北海道大学の学生3~4名と北海道大学総合博物館のボランティア数名が主に参加し、毎回10名前後で発掘をおこないました。
発掘では化石に近づくにつれて,細かい道具を用います。地層を掘削する道具として大きいものから、バックホウ(重機)、削岩機、ツルハシ、ピックハンマー、小さいハンマーとタガネやアイスピック、デンタルピック(歯科で使う道具)を使って発掘を行いました。
発掘が始まる前から分かっていたことですが、今回の恐竜が産した地層は、ほぼ垂直です。約7,200万年前には水平だった地層が、その後の地殻変動で垂直に立つように変化したのです。地層がほぼ垂直に立っていることで、一度に発掘できるスペースが限られます。また、発掘では骨化石を地層ごと取り出すので、取り出すまでの間にそれらが倒れないようにする注意と手間がかかりました。
発掘が進むと恐竜が埋没している地層から、2003年に発見された尾椎骨の続きの部分などが続々と出てきました。
(広報むかわ2014年8月号より) 広報むかわ
2014年8月2日
|
2014年7月1日
穂別博物館 2014年7月1日
in むかわ竜,広報むかわ
2003年に発見された恐竜の尾椎骨と発見者の堀田良幸さん(左)、小林快次先生(右)。2013年7月の発表のとき。
恐竜の発見②
恐竜は古生物の中でも特に有名なので、恐竜が出たとなれば、博物館やむかわ町がより有名になって、たくさんの人が来てくれるようになります。博物館の学芸員がそのことを分かっていたので、その化石が首長竜ではなく恐竜らしいということにガッカリしている首長竜研究者の横で、小さくガッツポーズをしてしまうほど喜びました。
その化石について、恐竜の専門家である小林快次(よしつぐ)先生(北海道大学総合博物館)に見ていただきました。そして、その化石が恐竜であることが確認され、おそらくハドロサウルス科(植物食の恐竜)のものだろうされました。2003年に寄贈されたものは、尾椎骨(尾の部分の骨)が13個も連結したものであったことから、この時点でも、北海道で発見されていた3例の恐竜化石と比べても遜色のないほど保存状態のよいものでした。また、骨化石が連結した状態で産したので、少なくともその部分は、腐敗して骨がバラバラになる前に海底に埋まったものだということが分かります。こうした化石の産状と埋まっていた地層の堆積環境について考えてみると、体の他の部分もまだ埋まっている可能性が出てきました。
それを確認するために、2012年に化石が採集された場所を改めて見にいってみると、崖がさらに崩れていて、体のより前方の骨を確認することが出来ました。つまり、その先の崖の中に全長が8メートルと考えられる恐竜の全身がまだ埋まっている可能性が高くなってきました。
2013年9月から発掘を行うことにして、そのことを7月に発表しました。
(穂別博物館 学芸員 西村智弘)
(広報むかわ2014年7月号より) 広報むかわ
2014年7月1日
|
2014年6月3日
穂別博物館 2014年6月3日
in むかわ竜,広報むかわ
クリーニング前の骨化石。ノジュール断面の黒い部分が骨化石。
恐竜の発見①
2003年4月9日、むかわ町穂別に在住で化石の収集を趣味とする堀田良幸さんは、散歩の延長で、アンモナイトが出る沢沿いを歩いていました。そのときに、崖が少し崩れている場所でノジュールという硬い岩石を見つけました。ノジュールとは、化石の入っていることの多い岩石で、多くのものは石灰分が濃集したものです。堀田さんが発見したノジュールの断面には脊椎動物の骨の断面が見えていました。堀田さんは最初「ワニの骨かもしれない」と考え、それが希少なものであることから、穂別町立博物館(当時)に寄贈しました。
博物館は、その化石について首長竜の尾椎骨(尾の骨)であると考えました。しかし、博物館では他にも重要な化石についての調査を進めていたため、この化石の余分な岩石を取り除くクリーニング作業は、後回しにされていました。
2010年に首長竜の専門家の佐藤たまき先生(東京学芸大学)が穂別博物館に来られ、いくつかの首長竜化石の観察をされました。堀田さんが採集・寄贈した化石は、学会などで報告できる価値のあるものだとの指摘を受けたので、博物館がクリーニング作業を始めました。次の年の2011年にも佐藤先生が穂別博物館に来られ、その化石を観察されました。クリーニングが進んではじめて分かったのですが、その化石は首長竜のものではなく、恐竜のもののようだということが分かってきました。この化石が恐竜だとしたら、穂別地域で初めての産出記録で、北海道内でも4例目のとても希少なものとなります。このとき、佐藤先生は、この化石が研究対象の首長竜でなかったのでガッカリしたそうですが、その横で対応していた博物館の櫻井和彦学芸員は、喜びを隠しきることができず、小さくガッツポーズをしていたそうです。
(穂別博物館 学芸員 西村智弘)
(広報むかわ2014年6月号より)
広報むかわ
2014年6月3日
|
2014年5月13日
穂別博物館 2014年5月13日
in むかわ竜,広報むかわ,陸生カメ
恐竜の発見にいたる背景②
穂別博物館では、集まった希少な脊椎動物化石についてのクリーニング(整形)作業を継続的に続け、それらの調査研究を進めてきました。その結果、近年までに蝦夷層群産の海生(海にすんでいた)脊椎動物化石の首長竜が29個体、モササウルス類が11個体、ウミガメが41個体も収集されました(断片的なものも含む)。これらは国内の白亜紀脊椎動物化石コレクションとして、質・量ともにトップクラスのものです。こうした資料には新属や新種とされたものもあり、また現在も研究中で、世界的にも注目されているものも含まれています。加えて、海生のアンモナイトなどもたくさん収集され、一部のものは新種として報告されています。
これらが産した穂別地域の蝦夷層群は、海成層(海でたまった地層)であるため、そこから産するのは、ほとんどが海生の古生物で、ごく稀に陸生(陸にすんでいた)の古生物が産します(陸生の植物化石は例外で、植物片はたくさん産します)。穂別地域の蝦夷層群からは、これまでに陸生の脊椎動物が一例(陸生カメ;アノマロケリス・アングラータ、2001年に新属新種として報告)だけ知られていました。サハリンから北海道にかけて分布する蝦夷層群全体についてみても、陸生の脊椎動物の産出はきわめて稀です。陸生の恐竜は、これまでにシネゴルスク(川上炭鉱)、中川、小平、夕張からそれぞれ1個体のみが産していただけです。こうしたことから、穂別地域からも恐竜化石が産する可能性はありましたが、その期待はきわめて薄いものだと考えられてきました。(穂別博物館 学芸員 西村智弘)
(広報むかわ2014年5月号より)
広報むかわ
2014年5月13日
|
2014年4月25日
穂別博物館 2014年4月25日
in クビナガリュウ,むかわ竜,広報むかわ
恐竜の発見にいたる背景
2013年9月からむかわ町穂別で恐竜の発掘が始まりました。第二次発掘は2014年9月に予定されています。これから数回にわたって、恐竜の発見にいたる背景や発掘について紹介します。
むかわ町北部の穂別地域には主に白亜紀の海成層(海でたまった地層)からなる蝦夷(えぞ)層群とよばれる地層が分布します。穂別地域では白亜紀の中ごろから後期にあたる約9,900万年前から約7,000万年前の地層が露出しています。白亜紀末(約6,600万年前)には恐竜・首長竜・アンモナイトなど多くの生物が絶滅しました。蝦夷層群からは、こうした絶滅してしまった古生物(こせいぶつ)の化石が産することで有名です。
蝦夷層群から産する化石・古生物の研究は古くから行われてきました。穂別地域での最初の研究は、1903年のアンモナイト数種類が新種として報告されたものです。その後も1950年代や1970~90年代を中心にアンモナイトやイノセラムス科二枚貝について多くの研究が行われてきました。
1975年に穂別市街に在住する荒木新太郎さんが穂別地域北部の長和で、のちにホベツアラキリュウ(愛称ホッピー)と名づけられる首長竜を発見し、未回収の部分について、(旧)穂別町が中心となって1977年に発掘を行いました。この首長竜を町に保存し展示することを目的として穂別町立博物館(2006年にむかわ町立穂別博物館に名称変更)が1982年に建設されました。この発見が注目されたことと、博物館が設立されたことで、希少な脊椎動物化石が地元の方々の協力や博物館の活動などによって、多数集まるようになってきました。(穂別博物館 学芸員 西村智弘)
(広報むかわ2014年4月号より)
広報むかわ
2014年4月25日
|